話題の書籍

『図説 聖人事典』
● 読売新聞書評より(掲載2012年1月10日)
浮かび上がる人間の業
 キリスト教の「聖人」は神と人間の仲介役として人々に崇められています。
 しかし認定は厳しく、あのマザー・テレサでさえいまだ福者の身分で聖人と認められていない現実が。『図説 聖人事典』は、栄えある聖人となった五百余名の方々のプロフィールが豊富な図版とともに五十音順に網羅された一冊。表紙の神や天使の絵が厳かな霊気を放つ事典を開いてみました。
 日本でもなじみのある聖人といえば、サンタクロースのモデルとされるニコラウスです。「3人の処女の結婚持参金として夜中に黄金の球を彼女らの部屋に投げ込み、身売りから守ってやった」と、マイナーなエピソードも収録。慈悲深い彼は、子ども、船乗り、薬屋、パン屋から、囚人、泥棒にいたるまでの幅広い層の守護聖人として崇敬されています。聖人の多くは守護する担当が決まっている、というのも新たな発見でした。例えば貧者に残飯を与えていた農民のノートブルガは農民や下女の守護聖人で、歯を抜かれて殉教したアポロニアは歯痛に悩む人を守護、受胎告知を行なったガブリエルは使者や郵便配達夫、近年では電話局の守護聖人とされているそうです。仏教で薬師如来が病気平癒、文殊菩薩が知力アップといった霊験があるように、キリスト教では聖人に御利益があるのです。
 しかし御利益や奇跡といった光の部分だけではありません。聖人には残酷な拷問や悲惨な殉教死など暗い運命もつきものです。クリスピヌスとクリスピニアヌスというローマの兄弟聖人は、足の爪の下に針を突っ込まれ、石臼をくくり付け水中に沈められ、最終的には斬首。処女の聖人クリスティナは、鉤で肉を引っかく、車裂き、煮立った油の釜に漬ける、など拷問まみれの人生で最期は矢に貫かれて絶命。生前あまり実績がなくても鎮魂のために聖人にされるというパターンもありそうです。祟りは恐い、でも御利益は欲しい……と「聖人事典」からは人間の業が浮かび上がります。
評者:辛酸なめ子(漫画家・コラムニスト)



『ヨーロッパの形?螺旋の文化史』
● 朝日新聞書評より(掲載2010年11月28日)
◎「ヘンテコリン」の謎解けた
 ジョルジュ・デ・キリコが形而上絵画の時代を終えて、晩年近くに新形而上絵画を確立するが、この絵画作品に頻繁に登場するヘンテコリンなオブジェがある。巨大なS字形にねじれたオブジェで、その両先端がペロペロ飴みたいに内側に渦を巻いている。そんな形象が建物に寄りかかっていたり、画面の両サイドから門柱のように出っぱっていたりする謎の造形物だ。
 ところがローマでキリコの家を訪ねた時、その謎が解けた。そのヘンテコリンな原型はバルコニーの鉄の柵の装飾の一部だったのである。実はこの螺旋(らせん)とも渦巻きともとれる唐草模様に似た形こそヨーロッパの精神の核をなす象徴的なフォルムであったということを、僕は本書で初めて知った。
 そういえばヨーロッパの建物の内部には螺旋状の階段が至るところに存在する。ネジ釘のようにねじれながら上昇し、下降する階段がヨーロッパの精神と肉体をひとつに結びつけていたことに気づいた時、僕は自作の中にも螺旋や渦巻きを導入していたことを発見して驚いた。
 著者がヨーロッパの螺旋の文化史を構築するためにたどる肉体と精神の旅は、本書でも触れられているウィリアム・ブレイクの「ヤコブの夢」と題する絵??天に向かう螺旋の階段を昇る天使たちの光景??とどこか二重写しになっていく。
 著者は、ヨーロッパ全土に展開される螺旋や渦巻きがヨーロッパの機械文明の基本として、ヨーロッパ文化の形を形成していると論じ、神話から政治、芸術、祝祭、食生活に至る様々な場での効用を200点の図像を挙げながら具体的に解明していく。
 この書を読みながら僕はふと人間の肉体に宿る渦巻き螺旋の形態に想像が及んだ。指紋、つむじ、三半規管など、すでに自分自身が渦巻きの原型であることを。また人間のDNAの二重螺旋構造がマクロの宇宙空間に茫洋と浮かぶ渦巻き星雲と相対する時、人間と宇宙の間をつなぐ壮大な空間になぜか、輪廻と転生のビジョンを夢想してしまうのだった。
評者:横尾忠則(美術家)


● 読売新聞書評より(掲載2010年12月6日)
 ローマの詩人ウェルギリウスの詩編『アエネーイス』の一節に、トロイから落ちのびる英雄アイネーアスが旅の途上で父の墓壇にぬかずき、祈りを捧げていると、祠の下より「滑らかな巨大な蛇」が現れて、七重の輪を重ねおだやかに墓を巻いた、と歌われる場面がある。これこそヨーロッパ文化の基層につねに泡立つ原イメージなのである。
 蛇のように「ぐるぐると螺旋(らせん)を巻いたもの」、「ねじ曲がったもの」は聖なる力を秘めるものとして神話から日常的な衣食住に至るまで人間のあらゆる営みに姿を現す。
 サン・ピエトロ寺院の大天蓋を支える4本のひねり柱、巻き毛の髪型、ねじりドーナツ、コルクの栓抜き、かたつむり型公衆便所、ネジ・歯車。「その根底には蛇がいる」。
 あとがきに「人類の文化遺産を弊履のごとく捨てて顧みないグローバル世界に、蟷螂の斧であっても、せめてもの抗議を試みた」と書き添えてある。著者のまなざしの深さをうかがわせ、本書が単なる文化史でなく、惰性的な現代を切り裂き、新たな精神史の構築に向かう仕掛けであることを気づかせてくれる。
評者:前田耕作(アジア文化史家)



『ローマの遺産』
● 日本経済新聞書評より(掲載2010年3月10日夕刊)
  芸術へのうんちく圧倒的 ★★★★★
 コンスタンティヌスは、4世紀初頭のローマ帝国に君臨した皇帝である。帝国ではじめてキリスト教を公認し、東方のコンスタンチノープルへ都をうつさせた。今でも、コロッセオの西南にある凱旋門で、その名はひろく知られている。
  19世紀以後の歴史家たちは、この凱旋門を、ローマ芸術における頽廃のはじまりとして、位置づけてきた。碩学ゼーリは、この常套的な審美観をしりぞける。さらに、この凱旋門が、どのような時代背景のなかでいとなまれたのかを、ときほぐす。
 その読みときへ動員されるうんちくの数々に、私は圧倒された。また、ゆるがぬ自信にも、感銘をうけている。「この粗雑さは、ある意味、意図的なものです」。1700年前の建造物を、そう評しきれる鑑定家は、なかなかいまい。
 地中海の神話とキリスト教の神学が、からまりあう。その宗教史とコンスタンティヌスとのかかわりを説くところが、私には、とりわけおもしろかった。だが、何よりたのしいのは、著者の、ほどよく芝居がかった語り口であろう。これは、ミラノのカトリック大学における、ゼーリの講演録である。大橋喜之訳。
評者:井上章一(風俗史家)


● 読売新聞書評より(掲載2010年1月18日)
  軽快に古代から近世へ
  ローマを散策すれば誰でもその混沌としたイメージの渦に巻き込まれ、どこか非日常的な情動をおぼえるだろう。スタンダールもサド侯爵もみな例外ではなかった。曲折する時間に翻弄されながら古きローマの姿をたぐり寄せるには練達の案内人が必要である。
 本書はゼーリが1989年にミラノのカトリック大学でおこなった五つの連続講演を記録したものであるという。ゼーリは、ローマの遺産の歴史的な転変を知りぬいたよほどの達人なのであろう、学究にありがちなかたくなさが少しもなく、その語りはちょっぴり衒学者風を漂わせつつも自在であり大いに楽しい。
 第二講の半ばまでは、古代から近世にわたって生み出された作品群が博識をつくして語りすすめられる。主題であるコンスタンティヌス凱旋門のもつ交錯する深義を解き明かすための思索の助走ともいうべきもので、歴史のハードルを軽快に越える跳躍に思わずひきこまれる。
 かつてネロの青銅の巨像が据えられた象徴的な場所に、315年、ローマ世界最大の凱旋門が建てられた。「永遠のローマ」の中心に凱旋門を献じたのは、銘文によれば「元老院と国民」であった。
 ローマにあった36の凱旋門のうち略奪の時代を奇跡的に生きのびた僅かな門の一つであり、17世紀の末までは半ば土中に埋もれていたこの大理石の記念碑に、いったいどんな色彩要素が存在したのか、なぜこの凱旋門は捧げられるべき人が立ち姿で御す四頭立ての馬車を欠いているのか、なぜこの青銅の像のみが消え去ったのか、時代を異にした浮き彫りの混在はなにを意味するのか、ゼーリが現場でみつめるままに発する問いは、ことごとく結び合わされ、新帝コンスタンティヌスの政治的示威と伝統宗教への思惑など、この時代の複雑な歴史的文脈を鮮やかに紡ぎ出してみせてくれる。話の運び方は天衣無縫というほかない。大橋喜之訳。
 ◇Federico Zeri=1921〜98年。イタリアの美術史家。著書に『絵画と対抗宗教改革』など。
評者:前田耕作(アジア文化史家)



『悩ましい翻訳語』
● 毎日新聞書評より(掲載2010年1月31日)
 「科学用語の由来と誤訳」の副題が付いたエッセー集。生物学関連の書籍を長年、編集・翻訳してきた著者ならではの視点が光る。
 例えば英語の「locust」。『聖書』に呪いの言葉として「locustを領地に送り込む」とあり、田畑を荒らす虫だから「イナゴ」と邦訳された。だが本来は、群生すると害をなす「バッタ」の類。これは中国語の「蝗」(バッタ)を、同じくイナゴと誤解したことに端を発するという。さらにlocustは「セミ」を指す場合もあるから、ややこしい。寓話でアリと対比される虫も、正しくはセミ。こちらは北欧人の誤訳「キリギリス」を踏襲してしまった。異文化享受の、何という悩ましさ。それでも翻訳に挑んできた先人たちに、敬意を払わずにいられない。


● 読売新聞書評より(掲載2010年3月7日)
 杉田玄白は『解体新書』の凡例に、西洋語から日本語への翻訳には、既存の日本語をあてはめる翻訳、適切な日本語をつくる義訳、原語の音をそのままあてる直訳、の三種類があると述べている。その各々について誤訳がつきまとうのは無理からぬことだが、言葉の由来まで遡って正確を期すべきことを強調し、生物を中心とした科学用語の誤訳や意味の取り違えを指摘したのが本書である。
 例えば、脳科学において神経細胞の「発火」という訳語が定着してしまったが、そもそも神経が火を吹くはずがない。原語fireの字面にとらわれて発火としてしまったのだが、正確には「発射」とすべきだという。一部には発射が使われていたが、もはや消えつつあるらしい。
 博覧強記の著者だから、言葉を巡る歴史やエピソードにも溢れており、提案する新訳語も楽しい。安易に翻訳するのが恐くなる本でもある。
評者:池内 了(宇宙物理学者)



『江戸の子供遊び事典』
● 読売新聞書評より(掲載2009年9月7日)
  子どもの遊びに関する本は多い。いや多かったというべきか。
 著者は明治18年刊行『古今百風吾妻余波』に収録された「東都子供あそびの図」に触発されている。明治初頭の東京の子どもたちが遊びに興じる姿を描いた112種の図。著者はこの図から当時の子どもの遊びの種類の多さに驚き、その図をたよりに江戸に遡って文献を渉猟し、かつ自ら遊びを知る人も探し、面白さを訊き、遊び方や道具、共に和す囃し言葉や唄、その来歴と変化をまとめた。大変な労作である。
 紹介された遊びは、「坐り相撲」から「かや釣り」まで114種だが、遊びは多くのバリエーションを生む。たとえば「穴一(ビー玉)」や「メンコ」の記述はそれぞれ30ページに近く、読むだけで楽しいが、反面、いまでは見ることのない遊びも多い。子どもの遊びの多彩さこそ、文化の内実の多彩さだとあらためて気づかされる。
評者:松山巖(評論家・作家)


● 朝日新聞書評より(掲載2009年8月9日)
 「お茶坊主」「十六むさし」「竹がえし」など江戸の子供たちが親しんだ遊びや、江戸時代から今に伝わる遊び114種類を紹介する『江戸の子供遊び事典』(中田幸平著)が発売された。「ずいずいずっころばし」「綾とり」など、大人が見つけるだに懐かしい遊びも多数。



『軽石─海底火山からのメッセージ』
● 朝日新聞書評より(掲載2009年7月5日)
  ■地球のダイナミックな活動と直結
 子供のころ、海辺で軽石を見つけるとうれしかった。家に持ち帰って色を塗ったり、彫刻刀で削ったり、風呂に浮かべて遊んだりした。そんな懐かしい思い出が、本書を読んで地球のダイナミックな活動と直結した。
 地下のマグマが海底で噴出し、細かな気泡を取り込んで固まった岩石が軽石だ。沸騰するような爆発でガスと共に噴き上がる大量の軽石は、海流に乗って大海原を漂流する。30年前、沖縄に赴任したばかりの著者は海辺で軽石を拾い、どこから来たのかわからないこの石に地質学の新たな地平を見出す。漂う軽石の分布は日本近海の海流の動きを鮮やかに解明し、海底火山の位置を照らす。付着したサンゴやカキは軽石の一生を暗示する。ひとつひとつ丹念に標本と向き合う著者の語り口はほんのりと温かくてひき込まれる。
 なかでも興味深いのが沖縄トラフに横たわる、腐った材木にそっくりの軽石だ。浮かぶことのないこのふしぎな軽石を求めて、著者は「しんかい2000」に乗り込み、深さ1800メートルの暗黒へと潜ってゆく。
 巻末の野外観察・室内実験の手引も含め、世界への愛情に満ちた一冊だ。
評者:瀬名秀明(作家)



『世界昆虫食大全』
● サンデー毎日書評「読書の部屋」より(掲載2009年3月8日号)
 最近のヒットは、三橋淳著『世界昆虫食大全』だが、この本は労作だ。日本でいちばん昆虫を食べている長野県の話を読んでいたら、ハチの子を大和煮にしてご飯と一緒に食べるとおいしいのだそうで、昭和天皇の大好物であった、という情報を得た。天皇が手術を受け、食欲をなくしたときでも、ハチの子をまぶした麦入りご飯ならば食したとのこと。それ以前にも、長野の松本市に宿泊した折に、地元名物ハチの子を「とてもおいしく召し上がられた」ことがあって、ハチの子を出した地元商店はそれ以来ハチの子缶詰を納めるようになったそうな。また天皇は、ハチの子の甘露煮をパンに載せて食べることを好んだというから、昆虫食愛好家だったといえる。同じ自然学者の今上天皇も、ハチの子好きでは引けをとらぬというから、ボクも試食したくなる。
 今もハチの子は大和煮を載せて押し寿司にすることがあり、需要も生産量もふえている。生産量が多いのは栃木県で、昆虫食文化の中心である長野にまさる。その理由は、栃木の「原野開拓が盛り上がった明治初期、長野県から入植した人が多く、ハチ食文化を持ち込んだから」と説明されている。なるほど、成瀬宇平著『47都道府県・伝統食百科』(丸善株式会社)の長野県の項にも、信州そばやリンゴと並んで「昆虫食」とりわけハチの子ご飯が、名物として挙がっている。
 『世界昆虫食大全』には、世界各地の事情が語られており、これが滅法おもしろい。ハチの子でお粥をつくる中国では、蛆虫(うじむし)を食べる。ヒトの遺体を棺に納めて57日過ぎると、棺に穴をあけて蛆を外におびき出し、これを料理して食べる。ゴキブリを食べる国もある。そういえばボクも、丸二日放置した食べかけの缶詰に蛆がいっぱい湧いていて、知らずに危うく生を食べるところだったという経験がある。そのほか、エジプトを脱出したモーセ一行が荒野の地表に出現した「不思議な食べものマンナ」に救われたという伝説について、これが昆虫の排泄した「甘露」だとする話も興味深い。
評者:荒俣 宏



『美食のギャラリー』
● 日本経済新聞書評より(掲載2008年11月30日)
先史時代から19世紀まで、絵画を切り口にたどる食物の歴史だ。キジやクジャクの脳、フラミンゴの舌など多様な食材を食べていた古代ローマ、実に恐ろしい中世の人肉食、16世紀の教皇が催した90品にも及ぶ大宴会など、食に対する人間の飽くなき欲望を思わせる興味深いエピソードが満載だ。さまざまな時代に今日の日本を思わせる食品偽装事件が起きていたというのも考えさせられる。220点に及ぶ図版を跳めるだけでも楽しい。



『[図説]神聖ローマ帝国の宝冠』
● 東京・中日新聞書評より(掲載2008年10月28日)
 宝石をちりばめた十字架、宝石と真珠とエマイユ図像のあるアーチ形の黄金板8枚でできた冠体、そして8つの小弧のある垂直ブリッジが織り成す威容。神聖ローマ帝国800年の歴史のなかで、王中の王のみが戴くことができた〈帝国冠〉。その謎に満ちた成立過程と流転の歴史、また、帝国冠を頂点に星座をなすように輝く、ボヘミア、ハンガリー、ドイツ、イタリアに伝わる宝冠との関連は? 豊富な図表を交え紹介する至高の宝冠のアシジロジー。



『虫の味』
● 東京・中日新聞書評より(掲載2008年10月19日)
  食糧難に備え?
 飽食の時代になり、虫を食べる「昆虫食」は「気持ち悪い」などと敬遠されてしまったが、ひと昔前はイナゴの佃煮やハチの子は珍味だった。自然から切り離された生活への警鐘も含め、さまざまな昆虫食について、虫の捕獲法や、調理の仕方、その味を紹介した。
 セミの缶詰、ミノムシのバター炒めなどのほか、ハエやゴキブリにも挑戦、トンデモ本ではなく、動物医学者の著者らはいたってまじめ。食糧難になったら、虫こそ食材になるのでは。そのときには大いに役立つユニーク本だ。1996年刊、現在新装版で累計7刷。



『世界動物神話』
● 東京・中日新聞書評より(掲載2008年10月12日)
 かつて多くの動物が自然の脅威や信仰の対象として人とかかわってきた。神話や昔話に表現された世界各地の動物たちの物語を比較しながら、それぞれの土地の人間と動物との交渉の歴史や文化を考察する。多くの文献を渉猟して、実際に生息する野生動物、家畜、小動物なども挙げて、主に日本と世界の神話を比較した。面白く読み応えある大著。



『虫の顔』
● 読売新聞夕刊書評より(掲載2008年4月24日)
  虫の顔 生存のため進化
 悲しそうな顔、笑ったような顔、ずるそうな顔......。
「虫の顔」のページをめくると、昆虫が種類によって様々な顔つきをしていることが分かる。
約100種の顔をイラストで紹介。生態を説明する文章も掲載し、生存のために顔も進化させてきたことが分かる。
昆虫採集の楽しみが一つ増えそう。
ちなみに、表紙の顔は「オオスズメバチ」。いかにも残虐なギャングという感じだ。


● 神奈川新聞書評より(掲載2008年4月15日)
  進化伝える「虫の顔」
 日本自然科学写真協会会員の石井誠さん=横浜市旭区=が、昆虫の顔をテーマにした本「虫の顔」を出版した。
繊細な手描きのイラストや写真もふんだんに使い、生き残るために進化を遂げてきた虫たちの”素顔”に迫っている。
 石井さんは、高校生のころから昆虫に興味を持ち、日大農学部(現・生物資源科学部)に進学すると昆虫学を専攻。
7年前にサラリーマン生活に別れを告げ、自由な時間ができたことをきっかけとして、本格的な研究を再開した。
 紹介されているのは、県内でも比較的簡単に観察することのできる93種。
例えばハチの仲間では、体力を消耗する長期間の産卵に備えて栄養を蓄えるため、
ノコギリ状の大アゴを持つに至ったキスジセアカカギバラバチが登場。
オスのサワラハバチの房状の大きな触角は、広大な森林でメスの居所を察知するための「恋のセンサー」の役割を担う。
石井さんによると、虫の顔には、自分たちの子孫を残したり、敵から身を守るための知恵が詰まっているという。
 「毛1本にも無駄なものはない」と、小さいものでは数ミリしかない顔を顕微鏡でのぞきこみ、
1枚2〜3日かけて製図ペンなどでイラストを仕上げた。
「小さな虫たちが進化を重ねてつないできた命の貴さを知ってもらいたい」と石井さんは話している。



『プラントハンター 東洋を駆ける』
● 読売新聞書評より(掲載2008年1月10日)
 プラントハンターとは何者か。直訳すれば植物狩人。学術研究のため、あるいは観賞用に、珍しい植物を探し出す人たちのことをいうのだ。18〜20世紀初頭には、 欧州各国に幾多のハンターたちがいた。彼らは遠く、日本や中国はじめ世界中に遠征し、数多くの植物を持ち帰った。江戸時代後期、長崎・出島にいたあのシーボルトも、 多数の植物を本国に送り出したという。


● 東京・中日新聞書評より(掲載2007年11月18日)
 18世紀から20世紀初頭にかけて、英国の植物収集探検家たちが、ヨーロッパにはない未知の植物を求めて中国や日本を訪れた。 採集された植物は西欧の園芸家たちの熱狂を呼び、ガーデニング大国の礎となった。危険と隣り合わせの探検を描きながら、どんな植物が発見され、 持ち帰られてどんな西欧的庭園を造ったかを紹介する。珍しい写真も多く、目でも楽しめる。


● 信濃毎日新聞書評より(掲載2007年11月25日)
  英の園芸ブームを支えた人々
 今や「ガーデニング」は流行というより、すっかり日本に定着してしまったようだが、その本場イギリスの庭を彩る植物には日本やアジア原産のものが少なくない。 その多くは、18世紀から20世紀初頭にかけてプラントハンターと呼ばれる人々によってもたらされた。大航海時代以後、西欧にはさまざまな植物が持ち込まれたが、 とくにイギリスでは17世紀ころから園芸や植物に強い関心が向けられるようになった。最強の大国として君臨した19世紀には、園芸熱は庶民にも浸透する。 世界各地から次々と届けられた植物は色刷りの園芸雑誌によって広く紹介され、さらにその熱をあおった。
 この流行を支えたのが、多くは無名であったプラントハンターである。彼らは、科学的好奇心、珍しい色や形、美しさ、有用性を備えた植物への情熱、 発見に対する栄誉や報酬といったさまざまな動機で危険な旅路に赴いた。独自の嗅覚を働かせ、ときにお互いの縄張りを意識しながら、植物を求めて世界中を歩いた彼らには、 やはりコレクター(採集者)よりハンター(狩人)という呼び名が似つかわしい。
 本書は、プラントハンター研究の草分けアリス・M・コ−ツの代表作から、日本と中国を訪れたハンターについての章を抄訳したものである。 最初に登場するのは鎖国下の日本に来たケンペルやシーボルト。外出もままならない彼らは、年に一度の江戸参府の道中で植物を採ったり、 出島で飼育されていた家畜の飼葉から日本産植物リストに300種以上を追加したりした。開国後に訪れたフォーチュンは、江戸の植木屋を巡り優れた園芸品種を数多く得た。当時の日本の園芸技術や植物への関心の高さは、イギリス人をも唸らせるほどのものだった。日本で彼を一番喜ばせたのはアオキの雄株である。最初に日本から持ち込まれ、観葉植物として人気があったアオキには雌株しかなく、イギリスでは80年間まったく実を結んでいなかったのだ。
 当時の書物からの豊富な植物図版や写真、詳しい脚注にも助けられ、一途で個性豊かなプラントハンターの活躍ばかりでなく、 この時代の空気も伝わってくる楽しい読み物となっている。
評者:酒井章子(京大准教授)



『人はなぜ花を愛でるのか』
● 朝日新聞書評より(掲載2007年05月27日)
  悩ましい植物的エロスの開顕
 ネアンデルタール人の人骨化石の周辺土壌から集中的に花粉が発見され、人類はすでに六万年前から死者の埋葬に花を供えていたとする学説が唱えられた由である。
 人はなぜ花を愛でるのか。この問いに答えるのはそれほど簡単ではない。花とは花全般を指すのか、それとも個別の花のことか。 人々はサクラを愛するようにアカザの花が好きといえるだろうか。
 本書は、京都の総合地球環境学研究所に会した学者たちがこの難問をめぐって開いたシンポジウムの産物である。 考古学・文化人類学・美術史・遺伝学・衣服史・生態人類学といった多彩な分野からの発言が一つのテーマをめぐって交差するから、花好きなら読んで損はない。
 全部で九つの文章が収められているが、総花的に紹介するよりも、書評子が啓発された知見を整理しておく方が有益だろう。 文学・美術に謳歌される花々を詩的に語る言葉は美しいが、それ以上に、本書でしか読めないのは、花をぶっきらぼうに《科学する》タイプの諸章である。
 綺麗で愛でたくなるような花が多量に出現したのは、わずか一万年ほど前のことだとする説には眼を開かれた思いがする。 原初、地上には森林しかなかった。農業が森の生態系を「攪乱」し、人間の定住が草地を広げる。森の巨樹と違ってライフサイクルの短い植物が多生し、 一定時間内にたくさんの種子を作る必要から花が咲き満ちる。環境の「里」化が花を育てた。
 もう一つの説は、花と人間との距離で「愛でる」行為を測定する。(1)食花、(2)接触、(3)装飾、そして(4)の段階で初めて花が人間の身体を離れて精神的に楽しむ。 その諸段階は連続的で分離できない。
 もし不満をいうなら、この陣容にぜひもう一枚、植物愛の発生部位について心理学のカードを加えて欲しかった気がする。花の魅惑は、 人間の大脳皮質よりもむしろ間脳にいきなり作用してくる。
 人はなぜ花を愛するのか。
 花は植物にのみ許される美しい生殖器官であり、抗しがたく悩ましいエロスの開顕だからではなかろうか。
評者:野口武彦(文芸評論家)



『生命進化の物語』
● 東京・中日新聞書評より(掲載2007年4月1日)
  諸学説の全体を平明に説く
 イギリスの動物学の権威がオックスフォード大学・生命科学科の一年生に講義した内容にもとづく書物で、 著者は狂牛病(BSE)対策の「サウスウッド報告」を提出した作業部会の座長として名を知られる。
 書名から想像できるように厳しい教科書ではなく、「恐竜はなぜ絶滅したのか?」「私たちは皆<アフリカのイブ>の子孫なのか?」 といったおなじみの謎解きテーマを40億年の年代記に織り込んだ読み物である。予備知識がなくても理解できるように書かれているが、 さすがに<進化論の本場>で行われる講義は奥が深いと感心するくらい中身がつまっている。 入門書でありながら進化をめぐるあらゆる「理論・仮説・推測」が俎上にのせられ、それらにどの程度の妥当性があるのか、 「幹」と「枝葉」を鮮やかな手並みで捌いていく。本書の特色は、その際の心憎いほど巧みなレフェリーぶりにあり、読者は複雑な進化の系統樹とともに、 いわば「学説の系統樹」も同時に学ぶことができる仕掛けである。
 例えば6500万年前の恐竜絶滅の原因については、ユカタン半島域に小惑星が激突したことは「ほとんど疑いの余地はなくなった」と述べるものの、 すべてそれで押し切るようなことはしない。気候・海面・火山や食物連鎖の変動など複数の要因の組み合わせがあったと結論づけて、 対立する他の学説も矛盾のないように取り込んでしまうのだ。
 古生物学の分野では新たな化石の発見などによって定説が覆されることも多い。しかし本書は数ある学説を総合的にとらえて全体の流れを押さえる姿勢に徹しているから、 たとえ新発見があっても動じない堅牢さをそなえている。
 著者はオックスフォード大学の副総長を務めながら政府の委員会など政治的な仕事も精力的にこなしたという。 経歴からも<総合的な取りまとめ能力>が高かったと想像される。晩年の遺作である本書には、科学の入門書はこうでなくてはというメッセージが込められているに違いない。
評者:藤井耕一郎 (科学ジャーナリスト)



『歳時の文化事典』
● 毎日新聞書評より(掲載2007年1月7日)
  四季を味わう事典
 四季折々の約80の風物について文化的背景を解説した『歳時の文化事典』が刊行された。「雛祭」「七五三」といった伝統行事や動植物などを取り上げ、 歳時記の分類にしたがって配列、古今東西の文学や民俗誌に記された文章や関連する絵画などを収録した。例えば「餅」の項目では『源氏物語』などを引用し、 文献に残る江戸初期の雑煮の具も紹介している。



『中世の言語と読者』
● 読売新聞書評より(掲載2006年7月2日)
  作品を受け取る側に注目
 今や現代の古典となったアウエルバッハの『ミメーシス』(1946年)が出版されて60年、篠田一士・川村二郎訳が出てからでも、 すでに40年が経とうとしている(因みに訳者・小竹澄栄は、本書で旧師二人の訳業の補完を見事に果たした)。その間の文芸理論上の変転にもかかわらず、 ホメロスからプルーストに至るまでのヨーロッパ文学全体を俯瞰しつつ、個々の引用箇所の文体に注目したその分析は決して古びていない。
 本書は、その『ミメーシス』の分析において一種の空隙となっていた600年から1100年までの、 ちょうどアウグスティヌス以後ダンテ以前の期間を埋めるために書かれた論文を集めたものである。 とりわけ本書全体の題名とも関連の深いその最終章「西欧の読者とその言語」は、文体上の変化の要因を、作者のもつ教養ばかりではなく、 作品を受け取る読者の役割に注目した先駆的な仕事である。
 「読者」といっても、それは古代の都市生活では、公私を問わず文芸作品や手紙までもが人々の間で朗読されたその「聴き手」のことである。 これに関して思い出されるのは、アウグスティヌスが『告白』第6巻で、自らの回心を導いたミラノの司教・アンブロシウスが書物を黙読する場面を特記した箇所である。 従来、この箇所は古代には黙読の習慣が無かったことの例証として挙げられることが多かったが、 むしろ音読による書物の理解の共有から置き去りにされた疎外感の表明と考えた方が、事実に近いであろう。
 崇高な内容を崇高な文体で描いた古代の作品と違って、『聖書』においては、貧しい収税吏や娼婦や病人の間に立ち交じる漁師の息子・イエスを描く、 「漁夫の言葉」が「崇高さ」を一層高める役割を果たしたのであり、この聴き手を念頭に置いた「謙抑体」こそ、ラテン語からイタリア語やスペイン語、 フランス語といった各地方の民衆語へと移り行く原動力となったのである。
評者:神崎 繁(首都大学東京教授)



『天体の図像学』
● 読売新聞書評より(掲載2006年4月24日)
  天体はどう描かれたか
 パリのオルセー美術館でのこと。風景画に描かれた三日月がおかしいことに気づいた。三日月は普通、北半球では弓の部分が右上がりとなるのに、 その絵では右下がりだったのである。明け方の月かとも思ったが、絵の内容からは明らかに夕方であった。それからというもの、月ばかりが気になってしまい、 三日月の描かれている絵を探して歩きまわるという、実にひねくれた美術鑑賞者となってしまった。右下がりの三日月が相当数あったのは確かで、 知り合いの画家にもその理由を聞いてみたが、明快な答えは得られなかった。 それ以来、いまでも絵画に登場する太陽や月、星といった天体ばかりに目がいってしまう癖は続いている。
 絵画芸術という観点から言えば、天体など所詮脇役だ。美術評論で、そんなものを真っ向から取り上げることなどないだろう、とあきらめていたので、 本書の発刊には驚喜した。著者も「ほとんどの人は付随的な点景――あるいは単なる点――として気にも留めない、太陽や月や星を、 前景に描かれた人物を中心とした情景以上に時間をかけて見るという、普通の鑑賞者からすれば極めて奇妙な観察パターンの訪問者となった」と述べている。 同好の士を見つけた喜びを感じたが、そこは専門家である。
 古代ギリシア・ローマといった神話の時代には、天体は神様として擬人化されて描かれていた。キリスト教の時代になると、 月や太陽は十字架や聖母像に実体として配されるようになった。写実的な時代を経て、例えば科学や近代産業の勃興を描いたジョセフ・ライトの絵の中の月には、 かつてのベツレヘムの星のように「新しい時代の誕生の現場へと導く星」の役目があると主張する。美術に明るい人でないと難解な部分はあるものの、 美しい図版と共に人類が天体をどのように描いてきたかを包括的に知ることができる。
評者:渡部 潤一(国立天文台助教授)



『大場秀章著作選 I』
● 読売新聞書評より(掲載2006年3月5日)
  徹底した自然観察力
 雲の形や動き、風の強さや方向、太陽や月の見え方などから翌日の天気を予測する観天望気は、山村や漁港に住む者ならあたりまえのことだった。 しかし、気象衛星の出現以降、そんな習慣はすたれてしまう。と同時に、自然を観察する力、動植物を徹底的に観察することから始まる研究も後退している。
 自然を観察する力こそがつい最近まで学問の発達を支えてきた。ニュートンのリンゴが事実かどうかは別として、彼がすぐれた自然観察者であったことは確かである。 しかし、個体から部分へ、部分から細胞へ、細胞から分子へといった要素還元主義が主流となった現代科学では、 自然界の植物や動物の個体ひとつ一つを総体として観察する学問分野、つまり分類学を傍系へと追いやってしまった。この傾向がさらに顕著となれば、 将来、奇形かどうかも分からなくなる可能性がある。そんなことを危惧する植物分類学者の第一人者である著者の論考を集めたのが本書である。
 西洋に於ける植物学が近代科学として体系化される過程を概観しながら、わが国江戸時代の本草学が、 『赤ひげ診療譚』の舞台で有名な小石川植物園を中心に近代植物学へと脱皮していくようすを丹念にたどり、分類学の重要性を訴えている。 なぜなら、地球上の動植物の種すべてが解明されたのであれば分類学の衰退も仕方がないが、現在判明している二百万種ともいわれる生物は全体の一部でしかなく、 解明されないままに滅びゆく種が存在する。だからこそ生物の多様性維持が主張されているのである。 人間もその一部である地球上の生物の実相が十分に解明されることなく、分子レベル、遺伝子レベルの研究に移行してしまったのである。
 著者のようなタイプの研究者を分類するなら、絶滅の危機に瀕した種と分類できるのではないだろうか。
評者:青柳 正規(国立西洋美術館館長)



『カフェイン大全』
● 毎日新聞書評より(掲載2006年3月5日)
  コーヒーから薬まで
 『カフェイン大全』が八坂書房から出版された。医療問題、心理学などの分野で執筆活動を続けるライター2人が、歴史、健康に与える影響などを調査、取材した。 「カフェイン」命名の起源や詩人ゲーテとカフェインとの深いかかわりから、カフェイン中毒や睡眠どの関係まで網羅している。 巻末付録には、主な飲料や医薬品に含まれるカフェインの量の一覧も。

● 日本経済新聞書評より(掲載2006年3月5日)
 コーヒーや茶、ココアなど、カフェインを含む飲食物は世界中で好まれている。 その起源から世界に広まった経緯、健康への影響などを米国のサイエンスライターらがまとめた。 日本についても茶道の起源や作法などのほか、現在の喫茶店の状況などを紹介。「日本特有のコーヒー文化」があると指摘する。 「世界一ポピュラーなドラッグ」をめぐる詳細な文化史だ。

● 東京新聞夕刊より(掲載2006年3月30日)
 カフェイン含有の三大飲料、コーヒー・茶・チョコレートをはじめコーラ飲料、スタミナドリンク、風邪薬など現代人の生活とカフェインは切っても切れない関係にある。 にもかかわらずその基本的知識については、あまり知られていない。茶もコーヒーも初めは薬として認識された。またコーヒーはイスラム世界からヨーロッパに伝わったが、 イスラム世界ではコーヒーよりも先に中国からもたらされた茶に親しんだ。茶は日本やイギリスで、保守的できちんとした親しい仲間の会合の中心となったが、 コーヒーはそうならなかった─など、三大飲料の歴史から、文化への影響、化学的分析に至るまでカフェインについてのあらゆる知識が網羅されている。



「シーボルト日記」
● 共同通信配信書評(全国地方紙20紙以上に掲載。2006年1月29日〜2月5日)
  幕末の緊張な雰囲気、随所に
 長崎出島商館の医師シーボルトは1829(文政12)年、日本地図を海外へ持ち出そうとした罪で国外追放となった。 その彼が30年後の1859(安政6)年に追放解除となって再び来日した事実はあまり知られていない。
       (中略)       
 とくに滞在の後半には、幕府の外交顧間として遣欧使節の相談にあずかるなど、外交面での重要な記事が注目される。一方、自然や生活に関する記事も多い。 例えば、「江戸は本当にカラスの町である」という記述。寺社の森に数千羽生息し、「早朝、江戸八百八町に分散し、食物をあさり」と指摘しており、 今の東京と変わりがない。
 はっと胸を突かれる指摘もある。江戸では、人通りの多い場所に小さな「無人販売」の箱が置かれ、小間物やようじなどが値段つきで売られている。 客は好きな物を手に取り、お金を足元の小さな引き出しの中に入れる。シーボルトは驚く。「世界で最も人口の多い都市の一つがこうである!  この商売は貧しい家族、貧しい人々を支えるために、すべての町人たちとの信頼により成り立っている」
 今日の東京に、この思いやり・温もりの江戸の心ありや。
 日記の記事は、このように多彩である。註も充実しており、巻末に付された「シーボルトの生涯・業績および関係年表」も便利である。 訳者の努力を大いに多としたい。
評者:竹内 誠(江戸東京博物館長)

● 読売新聞書評より(掲載2006年1月23日)
 医学・博物学など西洋の先進学術万般を教えてくれた大学者にして日本を世界に知らしめた恩人。 いや異文化の宝庫日本で集めた珍しい品々を西洋で高く売りさばいた利に賢い商売人だとの批判もある。シーボルトはいかなる人物か。 1859(安政6)年に再来日し、2年半余りの滞在中に書かれた日記からどんな人物像が浮かび上がってくるか、興味尽きない読み物だ。
 採集した植物を梱包しては送り出し、日本の風俗・行事を事細かに記録する。学者らしい多忙な日々。 だが、幕府顧問として江戸招聘に応じたり、内外の要人と頻繁に交わるなど世事との付き合いも熱心だ。
 かつての妻たき、娘イネとの再会について一切記さず、離日時の「シーボルト事件」で死に至った高橋景保や、高野長英ら門人を悼む記述もない。 卓抜な研究者だが、人情の機微にうとく、世評や地位には敏感な俗人の匂いがした。さて読者はどう読まれるか。
評者:白幡 洋三郎(日文研教授)

●共同通信ニュースより(全国地方紙20紙以上に掲載。2005年12月1日)
  シーボルト日記を初翻訳 幕末の風俗や自然を記述
 ドイツの医師シーボルトが再来日した際に書いた日記が初めて翻訳され、「シーボルト日記」として1日、出版された。 幕府の外国方顧問として奔走する様子を記しながら、当時の江戸や横浜の風俗、自然などを冷静な視線で観察し、記録している。
 翻訳者は石山禎一・東海大講師と牧幸一・早大高等学院教諭。1859年8月に長崎に到着し、62年5月に離日するまでを整理した。 日記の存在は知られていたが、癖のある肉筆で書かれ内容が多分野にわたるため、翻訳に4年もかかった。
 当時、米公使通訳官ヒュースケンの殺害事件など攘夷派浪士らによる外国人襲撃事件が頻発。 シーボルトは、外国奉行やイギリス公使オールコックらと会合を重ね、「暗殺事件についての手紙を書いた。 真夜中、私の文書が幕府から若干の所見とともに戻ってきた」と記すなど、折衝に明け暮れた様子がうかがえる。



「江戸の野菜」
● 毎日新聞 余録より(掲載2005年10月25日)
 ガルギール、リーキ、アピオス、エンサイなどなど──あげればきりがないが、みな最近市場で見かける新顔の野菜という。 それぞれエジプト、中央アジア、北アメリカ、中国南部が原産だから、野菜もグローバリズムの時代だ ▲グローバル化が進めば、一方でそれぞれが暮らす地域の伝統も見直される。かくして伝統野菜ブームである。 70年代から保存の取り組みが始まった京野菜、最近注目の加賀野菜はじめ各地の地場野菜が地域おこしの切り札として見直される昨今だ ▲小松川のコマツナのように東京にも地場野菜はあった。だが、その都市化とともに消えていった野菜の一つに「三河島菜」がある。 この幻の野菜を追った野村圭佑さんの「江戸の野菜」によると、冬の菜が乏しかった江戸時代には、三河島漬け菜は貴重だったという ▲この漬け菜、落語に登場するなど江戸、東京の庶民によほど親しまれていたようだ。 たとえば「あの人とあの人は三河島菜だよ」といえば「良い菜漬け=いいなづけ」というシャレである。昭和の初めによぐ使われた言い回しで、辞書にも載った ▲衰退の原因は外来のハクサイに追われたものだが、この菜にはいろいろ食い違う記録があるのが幻の菜にふさわしい。 それらを調べた野村さんの推測によると、三河島という土地と結びついた微妙な栽培技術が他の土地にうまく伝わらなかったのもすたれた一因のようである ▲今や伝統野菜が地域の《文化財》とみなされ、品種保存に努力が注がれているのを思えば、江戸の味が一つ永遠に失われたのは残念である。 この秋冬、鍋物のハクサイなど「勝ち組」の野菜をつつくおりには、消えていった野菜と人々の暮らしにも思いが向かいそうだ。



「植物学のたのしみ」
● 毎日新聞書評より(掲載2005年10月16日)
 「豊潤な学問に心ときめくバラの逸話」
   秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花(『万葉集』巻八)
   萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花
 山上憶良の秋の七草の歌である。「朝顔」は現在の桔梗を指す。二首がセットになっているが、第二首目は五七七五七七のリズムをもつ旋頭歌。 一首目の「指折り(およびおり)」という表現に注目して、二首目の「また」を読み解く伊藤博著『萬葉集釋注』を鮮やかに思い出す。
 つまり、子供に語りかける言葉遣いの「オヨビ」(普通ならオユビと読むところ)が用いられているゆえに、作者はじっさいに指を折る動作をして七草の名をあげてゆく。 「萩の花」から「をみなへし」までで片手の五本指はいっぱいになるから、ここで「また」と一呼吸してもう片方の手で「藤袴」「朝顔の花」と数え、 どうだい、これが秋の七草だよ、というわけである。詠作時期を推量するところから始まる慎重な解釈でありながら、 古代人である憶良の人間性まで髣髴とさせるような実に楽しい鑑賞である。
 このように緻密で大胆で豊潤な学間の楽しみは、決して専門的に孤立してはいない。 たとえば本書では、日本人が観賞の対象として花とかかわる時期を考えるのに、『万葉集』に詠まれた植物に注目している。 ちなみに、先の旋頭歌の初句に登場する萩が日本の文献に現れるのは『万葉集』が最初で、萩を詠んだ歌は草本としては最多の一四一首にものぼる。 しかし、中国文化の影響を受けつつ美意識に基づく庭園造りの始まりは平安時代であろうという。 なるほど、『源氏物語』に描かれた六条院の様子はまさにその文学的な具現に違いない。
 そして権力と美にまつわる「バラの皇后ジョゼフィーヌ」の章に思いが及ぶ。 ナポレオン妃ジョゼフィーヌのバラ愛好は有名であるが、著者はバラの来歴を語るのに欠かせない彼女の功績として二つのことを挙げている。
 一つは数多くの園芸家を動員し、バラの改良を大々的に進めたこと。 中国のコウジンバラなどが移入され、かけ合わせなどの新しい技術が躍進をとげ、時代はまさにバラの革新期であった。 もう一つは自分のコレクションの一つ一つを記録させたこと。 当代超一流の植物画家ルドゥーテが克明に描いた彼女のバラ・コレクションは、のちにルドゥーテの代表作『バラ図譜』として出版された。
       (中略)       
 あまりにおもしろくて、第一章の「花─自然からの贈り物」に深入りするうち紙数を費やしてしまった。 「植物通のすすめ」「秘境の花・旅の花」「花・人・出会い─植物を愛した人々」と続く章では、多様な植物の在り様と、さまざまなエピソードが語られる。 中でもバオバブやソーセージノキの花粉を運ぶコウモリの姿や、セーターを着た高山植物サウスレア・ゴシッピフォラの不思議さは忘れがたい。
 惜しみつつ読み終わって、再びタイトルに思いが及んだ。「植物学のたのしみ」。
評者:小島 ゆかり  



「レンブラントと和紙」
● 毎日新聞書評より(掲載2005年4月10日)
 ルーベンス、ベラスケスと並ぶ十七世紀最大の画家レンブラントの版画の多くに、日本の和紙が使われている −−この魅力的テーマを、著者は、戦前の新村出、戦後の壽岳文章の一文から知る。新村はアムステルダムでその版画を見ているのである。 二冊の原書を中心に、三〇〇に近い銅版画の制作年次、紙の種類そして、何刷か等を調べ、和紙が使われたのは研究者が推定しているように一六四六年以降とする。 それを「長崎オランダ商館長日記」とつきあわせる。なぜ和紙を使ったのか。 和紙の持つ柔らかさとインクの吸収の良さが、この頃からのかれの版画技法にうってつけだったからである。
 西洋の紙と日本の紙。複製芸術としての版画の特徴。多くの挿入された版画が読む者を楽しませる。(鷺)



「ジュエリーの歴史」
● 読売新聞書評より(掲載2004年06月13日)
「キラリと光る本」というのは、書評のきめ台詞の一つだが、この本は本当にキラキラ光る。金銀宝石、真珠にエナメル。 ヨーロッパの歴史を彩った数々の宝飾品が、豊富な写真で紹介されているからだ。見ているだけで楽しいが、文章も面白い。 例えばお国ぶり。イタリア人は派手好きで、巨大なペンダントにさらに大きな真珠をつけたりする。一方、ドイツ系は豪奢のなかでも、石と金属のバランスを重視した。 男性のジュエリーも興味ぶかい。英国王ヘンリー八世の衣装には宝石が山盛り。それが16世紀の末には、ボタンだけぐらいになる。 「ぼく贈る人、私つける人」という、不公平な慣習もこの頃できたらしい。著者によると、最近のジュエリーは芸術性を失いつつあるそうだ。 某ブランドの銀製品なんてたしかにうんざりするが、いい品はやはり高嶺の花。昔の名品を眺めて、目の保養でもしよう。
評者:佐藤 俊樹 (東京大学助教授)

● 朝日新聞書評より(掲載2004年06月27日)
 肖像画など膨大な資料を縦横無尽に使い分け、宗教や技術の発達などの背景と絡ませての解説は、陶酔感さえ催させる。 王冠やネックレスなど300点以上の豪華絢爛な写真が見事で、眺めているだけでため息がでる。 それでいて、ジュエリーにまつわるエピソードは、妻が夫にねだって買わせたり、愛人にこっそり贈ったり、借金の担保にしたりと人間くさくて、 宝石がいかに私たちと深いつき合いをしてきたかがわかる。 著者は、今後はジュエリーの機械生産が進み、手作りの魅力が失われるのでは――と悲観的だが、 訳者は人間の創造性と美意識に明るい展望を語る。
評者:多賀 幹子(フリージャーナリスト)



「『アラビアン・ナイト』の国の美術史」
● 朝日新聞書評より(掲載2004年09月12日)
 アラジンは中国人で、有名な「空飛ぶ絨毯」は出てこない──そんな『アラビアン・ナイト』にまつわる「へえ」をちりばめながら、イスラム史の基礎知識、 そして建築、工芸、写本など、その美術の広がりと奥行きをわかりやすく見せてくれる。からくり時計など発達した「自動機械仕掛け」についても触れられていて興味深い。 研究者らしいしっかりした筆遣いと見応えのある図版から、イスラム文化の薫りとその楽しみが、魔法のように立ち上がる。



「ハエ」
● 朝日新聞夕刊書評より(掲載2004年07月10日)
 著者は、40年以上ハエの研究に携わり、小笠原諸島、沖縄、アジア、南太平洋、アフリカなど世界各地で現地調査をした。 そのハエ捕りの様子を写真と共につづったのが本書だ。
 ハエは医学では衛生動物として扱われる。人畜に有害な感染症を伝搬・媒介するからだ。人のまわりをぶんぶん飛ぷいやらしい虫だから、市場やゴミ処分場など、 人の生活と密着した場所での採集が多い、と思いがち。そういう採集もあるが、分類学や生態学からは、熱帯の森など自然環境での採集が重要だ。
 熱帯のハエは金や赤、橙など体色が美しいものが多いが、森の中を飛び交う姿はまず見られない。動物の死体、果物などの腐敗物にどこからかやってきて群がる。 そこで、腐肉を森の中に置いておびき寄せるのが常道なのである。
 その周囲の草木にいるハエは、腐肉に集まったハエの羽音に「何事か?」と集まった野次馬で、希少種がいる可能性も高いという。
 自然の中での採集は、ヒルに血を吸われ、猛毒のヘビやゾウなどにも遭遇する。ハエもそれと同じ。周囲の環境と密接に関係した野生動物のひとつなのだ。
評者:小林 照幸(ノンフィクション作家)

● 読売新聞「著者来店」より(掲載2006年6月13日)
捕ったり! 40年で300新種  何事も極めれば偉業である。ハエ一筋40年。「見つけた新種は300ほど。10万点を超える写真も、ほとんど自分で撮りました」  一昨年に東京医科歯科大を定年退官した衛生害虫研究の第1人者は、捕虫網を片手にハエを追い、世界を巡ってきた。その記録と記憶が、本書には詰まっている。 古今東西、収集は人類の男性に共通の癖(へき)だと言うけれど、チョコエッグの模型を並べるのとは訳が違う。  愛媛大学卒業後、神奈川・相模大野の米軍医学研究所へ。日本脳炎を媒介するコガタアカイエカを研究していた時、 採集の腕をハエ研究の草分けだった加納六郎教授に見込まれ、東京医科歯科大にヘッドハンティングされた。 アジア、アフリカ、南太平洋などを渡り歩き、いったん旅に出れば数か月は日本に戻らない。  「熱帯にはヒルが多くて、かまれると血が止まらず、ズボンが真っ赤になります。 そのうえ、後でリンパ腺が腫れ上がるんです」「この写真の機関銃を持っている人は、パキスタンで雇った案内人。 あそこでは、大人の男はみんな銃を持ち歩いてました」  気の弱い人ならめまいがするような話が文中にも次々と出てくるが、「研究のためですから、いちいち気にしていられません」。 秘境や危険地帯に分け入る波乱万丈の冒険談も、終始淡々とつづられている。  ところが、ハエに話題が移ると、一転して口調は熱を帯びる。「パプア・ニューギニアは最高。とにかく種類が多くて、どれも初めて見るものばかり。 色もきれいで、2センチもある金色のニクバエを見たときは興奮しましたね」  たしかに、口絵のハエは美しい。色とりどりに輝く体と大きな赤い複眼を眺めているうちに、頭の中が想像の羽音でいっぱいになる。 そのふてぶてしくも精緻(せいち)な姿には圧倒的な存在感がある。  「実は、趣味はチョウの収集なんです。知人の私設博物館に、1万点ほどの標本を寄付しました」。いやはや、「あっぱれ」の一言である。



「【中世ヨーロッパ万華鏡 II 】中世の聖と俗」
● 朝日新聞書評より(掲載2004年06月13日)
 ドイツの中世史家たちが長年得意としてきたのは、何を措いても国制史であり、部族・封建制・身分制、いずれを諭ずるにも、 「国家」についての間いが重くのしかかっていた。日本の西洋史学の揺籃期には、剛直な指南役となってくれたのも事実である。
 しかしヨーロッパで国家を越えるEUの実験が加速し、歴史家たちの関心が社会史へと大きくシフトすると、都市や記憶の歴史といった一部のテーマ以外では、 ドイツの威光はすっかり地に墜ち、フランスの歴史家たちがつぎつぎ繰り出す、派手で魅惑的な逸品の背後に、小さく霞んでいった。
 雌伏数十年、じつは地道な開拓作業がなされ、新しい種が蒔かれていたのである。 そろそろ収穫の時期を迎え、ヨーロッパ内外の学界にふたたびドイツの存在感を示しだしたのが、昨今の状況のようだ。 ドイツやオーストリアで、多くの歴史家たちが集う共同耕作地は、「日常史」と呼ばれている。そのエッセンスを一般読者に分け与えてくれるのが、 『中世ヨーロッパ万華鏡』(全三巻)である。
 最初の配本となる本書は、中世の初期から盛期(六〜十二世紀)のヨーロッパ社会を、聖と俗がたがいに相手の懐に入り込んだ時代と捉え、 結婚と家族、修道院、死、悪魔について諭じている。たしかに珍しくもないテーマだし、史料にしても専門家にはよく知られたものが大半である。 ところが、法典や聖人伝・年代記の全体をよく読み込んだ上で引用箇所を選択しているのが効いており、また堅実で密度の濃い研究成果を反映しているだけに、 「そうだったのか」と思わせるツボ、見慣れたはずの風景を転換させる異化効果が随所に仕組まれている。 「結婚と家族」についてその例を挙げれば、初期中世の結婚が愛情共同体であったこと、「大家族を作る」イメージが神話にすぎないこと、 子供の命名法とその変遷が、家族の仕組みの理解にとってとっておきの指標になること、こんなことをさりげなく教えてくれるのである。 全三巻そろえば、ますます頼もしい中世世界再考の手引になるにちがいない。
評者:池上 俊一(東京大学教授=西洋史)



「都会のキノコ」
● 読売新聞書評より(掲載2004年09月12日)
 食欲の秋!秋の味覚といえばキノコ!というわけで、きのこの本である。
 きのこと食べることは、とっても縁がふかいようだ。食べておいしいだけではない。光合成しないきのこは、他のものを食べないと生きていけない。 きのこもまた食べることに必死なのだ。落葉や堅い樹、はては地中の虫まで、神出鬼没でむしゃむしゃ。
 でも、食欲合戦では人間の方が一枚上手みたいで、きのこの生態を書いたこの本でも、実は食べる話が一番おいしい。 例えば、キノコ好きにとって味噌汁は禁断の味。どのキノコにもあうので、かえってキノコの個性が味わえないのだそうだ。
「なるほど」と思ったが、その後の、著者がきのこ探究の先生に毒キノコを食べさせられた話には、絶句。 凡人には量り知れない師弟愛、これがきのこ道の奥深さか。
 とまあ、そんな具合に、きのこへの愛にあふれた本。読んで私もなめこ汁を食べたくなった。
評者:佐藤 俊樹(東京大学助教授)



近刊のご案内

「柳宗玄著作選」〈全6巻〉 完結!
● 全6巻の構成

  第一巻 西洋の誕生
  太陽神キリスト/聖樹より十字架へ/幻の「木の文化」/生命の泉/水に生きるもの
  死者の舟・生者の舟/羊の国にて/巨石の伝統/山岳信仰の流れ/十字文の世界/謎の組紐文
  聖母の誕生/古代彫刻の終焉/不肖の像

第二巻 東方キリスト教美術
  総 説 東方世界の多元化
  第一章 初期キリスト教美術の形成
  第二章 コプト美術とその周辺
  第三章 アジア的キリスト教美術の諸相
  第四章 ビザンティン美術とその伝統

第三巻 初期ヨーロッパ美術
  総 説 ヨーロッパ美術の二潮流
  第一章 ケルトの伝統とその新展開
  第二章 ゲルマンの伝統とその新展開
  第三章 地中海美術の変貌
  第四章 カロリング朝とヨーロッパ美術の形成

 
第四巻 ロマネスク美術
  総 説 象徴芸術の大時代
  第一章 天の像
  第二章 地の像
  第三章 神の家
  第四章 素材・機能・造形

  第五巻 ロマネスク彫刻の形態学
  聖母/空想の怪獣/天使と悪魔/植物/キリスト/鳥獣
  庶民の生活/抽象の形/謎の顔/人像円柱/柱頭の福音書 ほか

  第六巻 サンティヤーゴの巡礼路
  第一章 聖ヤコブスの聖地へ
  第二章 巡礼に旅立つ人々
  第三章 ガリスィヤを目指して
  第四章 さいはての大聖堂
  終 章 中世の巡礼たち
  全訳『サンティヤーゴ巡礼案内書』